ニホンカタラナ


#1「都市のリズム/建築のリズム」
15ヶ月程のバルセロナでの設計活動を終えて東京に戻ってきた。
最近の国内の建築事情に自分をアップデイトするために、機会を見つけては街を散策するようにしているのだが、どこに行っても、口をアングリ開けてしまう程に驚く。たった1年少しで、いくつもの街の景観がそのスカイラインごと変わってしまっているのである。それだけ多くの大規模プロジェクトがが、2001年から2002年の間に竣工し街の中で機能し始めているのである。
もし僕が東京でこの1年間、生活し続けていたのなら「口アングリ」状態になる程には驚かなかっただろう。カタルーニャでの、特にバルセロナでのデザイン生活が、僕の心身の奥深い所にまで「カタラナ建築リズム」を浸透させてしまったようなのである。バルセロナ等のカタルーニャ諸都市で、この東京の様に1年少しで劇的に街の景観が変更されてしまうことなど考えにくい、と言うかあり得ないのである。心身の何割かがバルセロナ人化しつつあった僕にとって、この東京の短期間での変貌はタイムマシーンで近未来へと時間旅行したかのような目眩を起こさせたのである。
こんな目眩を日本に戻ってきてから幾度も体験している。これまでの1年間はカタルーニャでデザイン生活をしながら、カタルーニャ独特の建築や都市の事情について「カタラナカタチ」というタイトルで書いてきたが、今後の1年間はニホンとカタラの建築や都市の事情の違いを僕の「目眩」の意味を探りながら書いていきたいと思う。それは日本とカタルーニャの差異を元に日本の建築や都市の状況についての考察になることだろう。今回のシリーズは「ニホンカタラナ」と銘打ってニホンの建築状況についてカタッテみたい。
今回は「都市のリズム/建築のリズム」にスポットを当てよう。この1年で東京に出現した大規模建築は、思い付くだけでも、丸の内の「丸ビル」、同じく丸の内の「パシフィックセンチュリープレイス」、汐留めの「電通ビル」、品川駅東口の再開発、六本木6丁目再開発、六本木1丁目再開発、と枚挙に暇がない。どれも機能こそ違え超高層建築である。それらが雨後のタケノコのごとくニョキニョキと生えてくる。もちろん各建築はそれなりの計画期間を経て、その後、施工され竣工しているのであろうが、それにしてもその「建築の生成=都市景観の変更のリズム」は大変なテンポである。例えばバルセロナを代表する教会建築サグラダファミリアなどは着工後100年を超えようとしているが未だ完成には遠い。
日本の都市景観の変更リズムが10年だとすると、バルセロナのそれは100年と言ってしまっても良い。文明史的に日本の建築が木造の軸組構法であったのに対し、カタルーニャでは石造の礎石構法であったこともこのリズムの違いに大きく影響している。木のフレームを立ち上げその上に屋根や壁などを張りつけていく木軸構造は施工も早いが、また同時に朽ちていくリズムも早く火災にも弱い。逆に重い石材を少しづつ重ねながら空間を構成していく礎石構造は施工は大変遅いが、基本的に朽ちることはない。近代の鉄やコンクリートによる建築が出現するまでの大変長い期間、そこに住む人々はそれぞれの建築の 生成-消滅 のリズムを心身の深層に貯えてきたのだろう。
そして現在、大規模建築を作る構法にはカタルーニャと日本の間に違いはない。しかし、そのリズムは今も大きく異なる。日本は早いテンポで建設する文明史的な傾向を更に強めたが、カタルーニャではそれほどでもない。僕がバルセロナで設計を行っていた時にはそのノロノロとした仕事の進み方にいら立ちを覚えさえしたものである。大変非合理であると感じさえした。カタルーニャの建築家達は早いリズムで建築を行うことへの嫌悪感を持っていたように思う。計画段階においても施工段階においてもである。それは近代以前の長い礎石造時代に獲得した心的傾向であるが、他にもそれなりの合理的な理由も持っていた。その理由を久しぶりの東京で目眩と共に感じたのである。
なぜ目眩を感じたのか?:東京がフィクショナルに見えたからである。
そこには二つの側面がある。1つには常々指摘されているように実質的な建築の生成-消滅のテンポの早さにある。毎日のように相貌を変えていく都市の中で少し気を抜けば、数カ月後には知らない街で迷子になったような心細さや疎外感を味わうことにもなりかねない。街を自分の身体のように感じる以前に街は自分から遠ざかってしまう。常に街は新しい知らない顔を向けてくる。カタルーニャの人々のような街を自分の身体の延長のように感じ可愛がっているライフスタイルは東京のような早い都市の変更のリズムとは相容れない。
2つめの側面は建築の感覚的な軽さの問題である。日本の建築は軽い。まるで舞台のセットのようなフィクショナルな軽さ。それは質量的な問題や見た目の問題でもそうであるが、ここで言いたいのはデザインとして軽いのである。それは、一つめの側面にも関わることであるが、日本の大規模建築のデザインには世紀を超えて存在していこうとするような意志を感じないのである。まるで、携帯電話のようなタイムスパンの短い消費材のようなデザイン性なのだ。それに比較してカタルーニャや欧州の大規模現代建築には都市遺産として世紀を超えて存在し続けようとする意志がある。建築の持っている時間量的な重さに絶対的な違いがあるのである。このように都市遺産として建築を考えるカタルーニャの建築家たちがインスタントな設計過程を避けようとするのは当然と言えば当然である。
東京のアップテンポな建築リズム。それは世界的に見ても大変特殊で興味深い状況ではある。しかしいざそこに暮らす一人の人間として考えてみると、人はもっと自分の街に親しみを持ちたいのであろうし、世紀を超えて存続しうるような優れたデザインの中で暮らしていきたいのではないだろうか。環境問題を考えても消費材として大規模建築を量産し続ける姿勢には問題がある。
今こそ僕らはカタルーニャのスローなリズムに学ぶ必要があるのではないだろうか。そのために「まずは昼食にワインをつけることから始めてみようか」と企むバルセロナ帰りの建築家は東京で生き抜いていけるのかどうか、疑問が残る所ではある。


#2「建築の保存/記憶の保存」
目眩を感じた数字:1万7千人。
これは、11月16日から24日までの九日間、江東区佐賀町の食糧ビルで開かれた「EMOTIONAL SITE」という展覧会に訪れた来場者の延べ人数である。近ごろの展覧会としては信じられない程に多い。 著者が会場構成アドバイザーとして、またテンポラリーなカフェのデザイナーとして関わったこの「EMOTIONAL SITE展」は、ポール・マッカーシー、村上隆、奈良美智、須田悦弘、安田千絵ら国内外の著名アーティスト30人ほどを招き行われたものであるが、この展覧会の最大の特徴はその会場である「食糧ビル」にある。
「食糧ビル」とは昭和2年(1927)に、米専売制度の布かれた当時の米の商取り引きの拠点使施設として建設され、1980年代からは現代芸術を扱うギャラリーが数件軒を連ねるちょっとしたアートビレッジのようにして使われてきた建物である。当時、まだ珍しかった鉄筋コンクリート造よる中庭回廊式の建物で、ヨーロッパの建築様式が様々に取り入れられつつも、日本のモデュール(寸法単位)でデザインされた「和洋折衷」のデザインである。欧州からのデザイン様式が流入し普及し始めた当時のデザイン状況をよく表した非常にユニークな設計の「食糧ビル」は周辺住民や建築史家達に愛されてきた建築物である。
この75年の歴史を持つ建物が今年一杯で取り壊され、高層マンションにその姿を返ることになった。EMOTIONAL SITE展は美術の展覧会であるのと同時に「食糧ビル」という建築物への別れを惜しむ「お別れ会」のような企画なのである。
そしてこのお別れ会に訪れたのが先述の9日間で1万7千人という大人数なのである。通常の美術展とは比較にならない程の来展者数である。これは都内に限らず日本全国でどんどんと失われつつある近代遺産としての建築物への郷愁のようなものが顕在化してきた結果であると言えよう。
前回も書いたように日本の都市景観の変更リズムは非常に早い。少し気を緩めると街に置いていかれてしまうのではないかという錯覚を覚えるほどに。。。特にこの数年その加速感を強めている都市景観の変更リズムへの危機感がこの郷愁を強めているのだろう。郷愁とは自分の身体であり想い出(記憶)である場所を求める気持ちである。誰であれ想い出がしみ込み自分の身体となったような「自分の場所」を失いたくはないものだ。
そのような「自分の場所」である歴史的な都市景観に社会的に価値を見い出し保守していっているのが欧州の諸都市であり、カタルーニャもその例外ではない。実をいえば、同じ床面積を確保しようとすると新築の場合の倍の建設費がかかってしまう保存修復工事は、社会的に共有された景観保存への強い意志がなければ、経済性重視の資本主義社会の中で実現しようもない。長い石造文化の時代を生きてきたバルセロナ等の歴史的な諸都市においては、景観保存への世論が熟成されて存続している。このことは毎週のように新聞記事に載る景観問題をとりあげた記事や、公共による古建築リノベーション工事の設計者選定競技で新築の場合にくらべて倍の工事費が用意されていることからも明らかである。
バルセロナには、このようにしてできたいくつもの優れたリノベーション作品がある。例えば、1880年のリュイス・ドメネク・イ・モンタネールの設計による建築物をL・ドメネクとR・アマドが改修した「タピエス美術館(Fundacio Antoni Tapies)」、やエリオ・ピニョンとアルベルト・ヴィアプラナが病院を改修してデザインした「バルセロナ現代文化センター(CCCB)」、少し郊外に なるが、エンリック・ミラーレスによる今世紀初頭の工場建築を改修した「ラファエル・アルベルティ小中学校(Escola Rafael Alberti)」、14世紀に造船場として建設され1992年に博物館として修復された「海洋博物館(Drassanes)」、ホセ・アントニオ&エリアス・トーレス アーキテクツによる建設時ボイガスらがデザインに関与した「エル・コルテ・イングレス(El Corte Ingles)」の改修等、が優れた事例としてあげられる。
特にホセ・アントニオ&エリアス・トーレス アーキテクツはそのような歴史的な建築物のリノベーションに優れた手腕を持った建築家として世界的に著名である。以前「カタラナカタチ」で紹介したカステル・デ・フェル城の改修の他にも、バルセロナ北部の街ジローナの郊外に大変優れた修道院の改修作品「サン・ペレ・デ・ローダスの改修(Restauracion de Sant Pere de Rodas)」がある。この建築は9世紀に建設が始まり、17世紀まで何度も各時代の様式によって増改築が繰り返し行われてきた建築物で、17世紀以降は廃虚として放置されてきたものである。ホセ・アントニオ&エリアス・トーレスによる改築はその廃虚を現代に甦らせるもので、彼らの仕事も連綿と繰り替えされてきた改修の歴史の一部であり、彼ら自身そのような姿勢で謙虚に歴史的な味わいを損ねないようにデザインの手を加えている。
これはカタルーニャを訪れた際には時間があればぜひとも訪れていただきたい改修作品である。
以上の事例のように、カタルーニャにおいては歴史的な建築物を保存していこうとする文化が既に醸成されている。彼らは「時間の蓄積された建築物を失うことは、街と自己の記憶を失うことである」と心身の深いレベルで認識しているのである。
私達日本の都市に住む人間もこのことを理解しつつある。
Emotional Site展の来場者数 1万7千人 という数字は、景観保存への世論の高まりと、それを背景とした日本におけるリノベーションという建築手法の確立を予感させるに十分なものであった。


「Amics」 2002-2003年連載/日本カタルーニャ ニホンとスペインの比較建築考察