カタラナカタチ


#1
東京やパリ、ニューヨーク、ロンドン。こんな大都市に僕達が訪れると、たくさんの建築デザインを見る事ができる。大都市には各地からデザインが集まってくる。色々な様式が混在した町並みはまるでカクテルのように僕達を酔わせ魅了してくれる。東京やパリをカクテルとすると、バルセロナはスコッチやオルッホのようなスピリッツである。と言うのも、この町の建築デザインは他の土地に生まれそこから集められたものではないからである。バルセロナのデザインはスピリッツの様に、この土地から生まれ出ている。
カタルーニャの大地を掘り起こすとそこには独特な建築様式が埋まっているのだろう。こでは建築家は醸造家であり発掘技師だ。
アール・ヌーボーモデルニスモの巨星アントニオ・ガウディー、モダニズム建築の開祖であるミース・ヴァン・デル・ローヘ。彼等のような歴史的、世界的に著名な建築家の他にも、今現在カタラの大地で、新しいデザインをこの土地から発掘し続けている優れた建築家が何人か存在している。この数回の連載ではそんな、昨今、希有なオリジナリティーを持った現在のカタランの建築家と、その作品を紹介したいと思っている。
カタラの土地から生まれいでるデザイン。その産出の現場のダイナミズムを感じていただけたらと思う。
お洒落で儚いカクテルではなく、力強く真直ぐなスピリッツのような建築デザイン。
「カタラのカタチ」を堪能しよう。
初回である今回は正にカタルーニャ産のワインのように、この土地の人々に愛された建築家エンリック・ミラーレス(Enric Miralles)と彼の最新作の「色の公園(PARC DELS COLORS)」を紹介したい。この公園はこれまで、これといった特色のなかったバルセロナ郊外のベッドタウンであるモレェット デル ヴァレェス(Mollet Del Valles)に、この夏建設されオープンした。優れた建築デザインによって町に新鮮な活力を注入する事を狙って公共が計画したものである。
その公共の意図は成功した。ミラーレス独特のカーブを持った光ファイバーによる照明や、プレキャストコンクリートと酸化したスチールでできた浮遊する量塊的なパーゴラ(日除け)が公園全体に強い印象を与えている。これらが火の玉のようなデザインの街灯やカラーコンクリートの色彩と相まって、半次元だけ現実からズレた異世界的な雰囲気をこの公園につくり出している。その独特の雰囲気を求めてモレェット デル ヴァレェスの人々はもちろん、町の外からも多くの人々がこの公園を訪れこの町の魅力を発見、再確認している。
ある知人はこの公園の独特な異世界的な魅力を「霊界公園」と評した。彼は図らずも真を突いている。このカタルーニャの英雄的な建築家エンリッス・ミラーレス氏は、昨年夏、交通事故で亡くなっているのである。現在実現し、これからも完成していくだろう多くのプロジェクトは彼の奥さんと、そのスタッフがその後を引き継いでいるものである。
僕はこの公園を訪れる時、毎回、少し期待する。
「ひょっとしたら、ミラーレス氏と出会えるのではないか」と。
カタルーニャにはこんな異世界との通路が日常の中に溶け込んで存在していると、時に、思う。

data:
エンリック・ミラーレス(Enric Miralles)1955-2000 バルセロナ生まれ。
代表作:オリンピック村アーバンデザインと彫刻、アーチェリー場(Installations de Tiramb Arc)、ラ・リャウナ高等学校(Institut La Llauna)
以上全てバルセロナ。その他作品多数。


#2
カタルーニャ広場側のバルセロナ近郊鉄道駅へ向かう。バス停の脇を抜け、クリスマスのイルミーネーションに飾られたエル・コルトイングレースを広場の向こう側に眺めながら思う。「この建築家は本当にバルセロナのために働いているんだなぁ」と。この建築家とはホセ・A・ラペーニャ&エリアス・トーレスという二人組の建築家で、今回紹介しようとしている作品「カステルデフェル城の改修」も「バルセロナ市のバス停」も「エル・コルトイングレースの全面改修」も、そういえば彼等の作品なのである。バルセロナという生活景観の中に違和感なく溶け込んでいるこれらの作品群を見ていると、
「バルセロナのために仕事ができて幸せだ」
というエリアス・トーレスの言葉が自然と思い出される。前回紹介したエンリック・ミラーレスと違って、彼等は決して大規模で派手な建築作品が多い建築家ではない。どちらかと言うと小住宅やランドスケープ(公園や街路等の「外」のデザイン)の仕事、照明器具やベンチなどのストリートファニチャー等の仕事を得意としている。そして、今回訪れる「カステルデフェル城の改修」のような「既存の歴史的な建造物に新たに手を加え現在に蘇らせるデザインワーク」に抜群の冴えを見せている。世界の有名建築家の中でも少し特殊なポジションにいる建築家である。ヨーロッパの古い石造文化や、街区を市民の財産と捉える市民意識なしには成立しづらい立場だろう。少なくとも現在の日本には見当たらないタイプの建築家である事は間違いない。そんな事を思いながらカステルデフェル駅で電車を降りる。
カステルデフェルはバルセロナ南部の海岸沿いの小さな町である。次の駅がカステルデフェルプライヤ(カステルデフェル海岸)である事からも分かるように、海水浴客等の外から来る人口の多い町である。カステルデフェルプライヤを湘南海岸だとすれば、この町は葉山あたりを想像してもらったらいいかも知れない。それなりに品が良い感じも似ている。駅を降りたら海を背にして商店街突き当たりの教会まで歩き、右折して少しバルセロナ側に戻っていくと、その古城「カステルデフェル」が見えてくる。
200m程の高さの小山の上に古城が建ち、そこまでのジグザグ(つづら折り)に登っていくアプローチロードのデザインが建築家の仕事である。写真を見ていただければ分かるようにジグザグなのは道の形状だけではない。手すりをかねた斜路の構造そのものがジグザグにデザインされている。通常、建築工事で地下を掘る際に土砂の崩壊を防ぐ為に用いられるコルテン鋼(鉄板の一種)の鋼矢板をそのままデザインに活かしているのだ。厚みのあるその鉄板はオレンジ色に錆び、植栽のグリーンとちょうど良い対比をなしている。オレンジの錆色はこの地方の土の色と良く似ている。ジグザグな鉄板の面が光と影のリズミカルな反復を生み出しているのも面白い。そんな斜路を数度折れながら登っていくと頂上だ。振り返ると海が見える。
是非、夕暮れ時のこの頂上からの景色を見ていただきたいと思う。刻々と色相を変えていく海と空。暗くなるに従ってバルセロナの街の光が浮かび上がってくる。すると登ってきた斜面に照明が灯る。建築家の手による蛍光灯と少しカーブした金属のポールからなるシンプルな照明達が夜の、日中とは違った魅力を斜路に与えてくれる。街のおじさんやおばさん、子供達が犬をつれて散歩にくるのもこんな時間帯だ。日常の中の気持ちの良い空間として愛されているのが良く分かる。
エンリック・ミラーレス氏が世界に名だたるカタルーニャ産のカヴァ(CAVA)だとしたら、この二人組の建築家の作品はバールのオッチャン達に愛されるハウスワインのネグロといったところだろうか。彼等は著名な建築家である事を意識しない。ただ彼等の周りで生きている人々の人生の景観に手を加え、少しだけデザインで幸せになってもらいたいと願っているだけなのだろう。
こんなカタラナカタチが彼等の形なのである。

data:
ホセ・A・ラペーニャ(Jose Antonio Martinez Lapena)1941- タラゴナ生まれ
エリアス・トーレス(Elias Torres Tur)1944- イビザ生まれ
代表作:グエル公園改修1993、サン・ペレ・デ・ローダス修道院改修1993、イビザ城改修1993、カステルデフェル城改修1994、その他作品多数。


#3
ジュジョール(Josep Maria Jujol Gibert,1879-1949)という建築家がいた。
今現在も、バルセロナで活躍する建築家達の尊敬を一身に集めているスペインモデルニスモ期の建築家である。日本では、彼の名前はひょっとしたら一人の独立した建築家としてよりも、ガウディーの右腕としての仕事でよく知られているのかもしれない。
確かに、ガウディー作品の色彩や金属造型に関わる部分は彼のデザインによるところが大きい。例えばバルセロナ市内では、カサ・ミラの門の鉄柵や有機的なカーブを描く金属手すり、一階ホールの天井絵、またカサ・バトリョの溶けかかったジェラートのようなモザイクタイルによるファサードや鉄仮面のようなテラ スの手すり、グエル公園のベンチや人工地盤下部の天井のモザイクタイルの装飾、等々を見る事ができる。しかし、彼が現在のカタルーニャの建築家達に重要視されるているのは、ガウディーの右腕としての仕事よりも、彼が単独でデザインした作品による部分が大きいように感じられる。現在のカタルーニャの建築家達に与えた影響はガウディーによるそれと同程度か、あるいはそれ以上であるかもしれない程に、彼の作品の持つ力やそのデザインへの姿勢や哲学は、現在の建築状況から見ても卓越したものを持っているのである。現在のカタラナカタチをもっと深く理解するためにも、今回はジュジョール自身の作品にスポットを当ててみよう。
バルセロナから車でA-2の高速道路を2時間程タラゴナ方面へ南下する。桜の花によく似た花弁を付けたアーモンド林の道を通り抜けモントフェリという村に向かっていくと、小さな丘の上に白い教会建築が見えてくる。ジュジョールのモンセラット教会(Esglesia-santuari de Montferri)だ。カタルーニャ地方の聖地モンセラート山にインスピレーションを得てデザインされたと言われているこの教会はモンセラート山同様、いかにもカタルーニャらしい特異な外観で、農村の風景から際立ちながらも同時に馴染み溶け込んでいる。この建築は1922年に着工されながらも1926年から1985年まで工事が止まり、その後再開され1999年にようやく完成されたといういきさつを持っている。当然ジュジョールはその完成後の姿は目にしていない。
注目すべきは、その彫刻的な外観や内部空間がほんの数タイプの形状を持つコンクリートブロックだけで構成されている点である。小さな女の子でも持つことができるほどの小さなコンクリートブロック(約200×100×50mm)による積石造で、実際職人が2人程とあとは村民のボランティアで完成したそうだ。すべてのデザインはコンクリートブロックを縦に積むか横に積むかで、変化やリズムを出して、構成されている。当然、他の大教会のように著名な彫刻家や画家などはこの建築の建設に参加していない。
これらの事は何を意味しているのかというと、この教会はモントフェリの人々にとって「自分達たちで出せる予算」で「自分達で作れる方法」で「自分達の土地に合った形」の「自分達のための祈りの空間」を実現できたという事である。つまりモントフェリの人々にとっての本当の意味での「公共建築」が出現したのであり、いわゆる、ポップな建築(一般の人々のための建築)が実現したのである。かつて多くの教会建築が一部の人々の富や権力の象徴であった事を考えるとその歴史的な意義は極めて大きい。
現在のカタルーニャの建築家達が、ジュジョールに付いて言及する時もその「ポップさ」に焦点を当てる事が多い。その時、彼等はジュジョールへの尊敬の念を表わすことで、同時に自分達も自己を含んだ市民のための建築を作っていこうとする意志を表明しているのである。「公共建築」というと景気刺激策としての側面でしか語られない状況にある日本において、ジュジョールやそれに続くカタルーニャの建築家達が考える「ポップな公共建築」に思いを馳せるのもあながち間違いではないのではなかろうか。
総工費のみで語られる「ムネオハウス」タイプの公共建築を「カタラナ公共建築」は許しはしないのである。

data:
ジュジョール(Josep Maria Jujol Gibert,1879-1949)
文中に揚げたガウディーと共同の仕事の他にも彼個人のデザインによる作品は多い。代表作に、サグラット・コル教会(Esglesia de Vistabella, 1918-1923),カザ・ブファルイ(Casa Bofarull, 1915),メトロポール劇場(Teatre del Patronat Obrer, 1908),ラ・クレウ館(Torre de la Creu, 1913)等作品多数


「Amics」2001-2002年連載/日本カタルーニャ協会 バルセロナ建築考察