House toward Tateyama / 立山の家



立山連峰を稲田越しの正面に見晴らす、北陸富山の敷地。
ここに家族四人が暮らす住宅を、という依頼だった。
その恵まれた周辺環境へと開かれた伸びやかな空間と家族の親密な繋がりを育むように程よく閉じた空間。その性格の異なる2種類の空間が重なるような平面構成を求めた。
それは豊かな周辺へと伸び行くよう離散的に配されたRC壁造による解放的な空間の上層に、これとは無関係に木壁造による内向的で程よいスケールの空間をストンとのせることで現実化されたが、これは一枚の平面に2種類の異なる"通り芯"の体系が重ねられたことを意味している。"通り芯"が"通っていない"という、これまでの建築ではありえなかつたことが起こるわけだが、これによって、質の異なる上下の空間は跨ぎあい始め、複数の結びつきや光の干捗が生じ,単調ではない豊かな現象が発生することになった。
この建築の"通り芯からの解放"は、構築的には上層の木壁造を成立させる梁成2,100ミリの大断面集成材によるところが大きい。その階高を一息に確保してしまう程に巨大な縦断面が十分な曲げ強度を獲得し、さらにそれが接合部鉛直方向の十分なスタンスとなることでこの方向については完全な木造剛接合が実現するため、上下の通り芯がずれることで生じる力学上の不合理を、余裕を持って受け入れることが可能になったのである。
不合理と今ぼくは書いたが、しかし、土地を見渡せば,力学上純粋な合理的形状を表すものはそう多くはない(原理は別だが)。たとえば、正面の立山の峰々も,その岩塊は時にオ一バーハングし、また時には吃立するが、これも十分な物質の"量"が可能にする、ありうべき"自然の形"である。木の、或いはコンクリ一トのたっぷりとした質量が、通り芯から自由に、自律的に存在することで生じる感興は,立山の峰々を見る時のそれに近いように思う。
これまで絶対的な制約として建築を束縛してきた"通り芯"から建築を実質的に解放することで空間的にも存在的にも建築は新しい位相へと移ることになるのだろう。



「GA HOUSES 149」 2016年9月/A.D.A.EDITA Tokyo