「キッズプレイキャンパス」


キッズプレイキャンパス・レポート
「2005年日本国際博覧会」 プレ・イベント

この夏、8月5~8日の4日間、瀬戸の森の中に80人ほどの子供と20人ほどの大人が集い、何やらわけのわからないモノを非常な熱量をもって制作し、また去っていった。これは「キッズプレイキャンパス」というEXPO2005のプレ・イベントで、船曳建夫氏(東京大学大学院総合文化研究科教授)の発案で、日本国際博覧会協会の主催によって開催されたサマーキャンプである。瀬戸市近在の小中学生を中心とした子供たちを対象とし、彼らに自然の中で生活しながら、さまざまな体験を通して何かを学び取ってもらおうという趣旨である。
人間の生活の基本である「衣・食・遊・住」の4つのコースが設定され、各コースに20人の子供とそれぞれに講師とアシスタントがつく。「衣」のコースはコスチュームアーティストのひびのこずえ氏、「食」のコースには中国料理の脇屋友詞氏、「遊」のコースは狂言の和泉元彌氏、そして「住」のコースを隈研吾が担当し、著者が4日間、実際の子供たちの指導を行った。
「住」のコースは『森の中で自然の材料を用いて、「僕の家」を制作し、最後の晩は完成した家に一泊する』という内容である。小さなころ、友だちと一緒に秘密基地をつくった思い出のある人も多いだろう。あのノリである。まず、子供たちを「僕の家」の敷地である森の中に連れていき、使える材料、場所、道具を示したのち、各自にここでつくってみたい僕の家をスケッチブックに描かせ、みんなの前でプレゼンテーションしてもらう。このあとアイデアの似たもの同士で4人組のグループをつくり、制作を始める。このような段取りであったが、なかなかアイデアが出てこない。例を示すと、ほとんど全員が同じ案になってしまう。
内心困りながらもチーム分けを終え、製作を開始した。
ここで不思議なことが起きた。最初に「僕の家」というお題で描いてもらったスケッチでは、何のアイデアもなかった「僕の家」が、製作が進むにつれてどんどんオリジナリティを示し始めるのである。子供たちも鉈をふるい、木槌で杭を地面にたたき込みながら、どんどんノッテきている。つくるという行為がそのまま楽しいのだろう。「製作の喜び」に触れる前に描いたスケッチに感じられた「畏縮」や大人の価値基準への「媚び」が、「制作」の過程の中で変更を加えながら完成した「僕の家」には見られなかった。逆に自分の存在や発想を堂々と誇示しているようにさえ感じられたのである。この不思議は次のような女の子の嘆きで、謎が解けた。
「ねー、私これ(キッズプレイキャンパス)が終わったら次の日から塾だよー。まいにちー。」
似たような状況の子はほかにも多いようだ。彼らは、この嘆きが象徴するような、『今日の「行為ー塾通い」が、いつかくる未来の幸せという「結果=よい進学校・よい会社を保証する、という幻想が支配する世界』に閉じ込められている。そのとき行っている「行為(学習)」と、それが生む「結果=よい進学校・よい会社」、その距離の遠さ。「今、がんばっとくと後で楽だから」という呪文。この状況は子供たちに限ったことでない。「労働(という行為)」と「豊かな暮らし(という結果)」、「生産」と「消費」、「物質性」と「機能性」、「公的自己」と「私的自己」等々、日常のさまざまな相で見られる社会構造的な問題なのである。そこにこの「キッズプレイキャンパス」である。彼らは爆発した。まさにこのサマーキャンプのテーマである「大人は僕らを止められない」状態である。瞬間瞬間に、「製作するという行為」がそのまま「喜びという結果」として跳ね返ってくる。「今、がんばると、今楽しい」。この目的と行為の直接的でダイナミックな関係、その距離の近さが彼らを(実は彼ら以上にわれわれ大人をも)興奮させたのだろう。この興奮は逆に、日常生活での「行為」と「結果」の距離の遠さをはからずも露呈している。
このように、「行為」から離れ、永遠に未来へと差延いていく「結果」を追いかけ続ける運動の総体こそが、近代以降の社会の本質であったといってよいだろう。しかし、永遠に遠くあり続けるハズであった「結果」が思いもかけない方向から出現した。それはいつかくると信じていた望ましい「結果」ではなく、自分の身体も含めた「自然環境=生活環境」の破壊の危機としてである。ここでわれわれは、否応なく今そこにある「結果」と向き合わなければならなくなったのである。今や、いつかくるであろう望ましい「結果」だけを求めて運動し続けることはできない。「自分の行うあらゆる行為」が、即、「結果」として環境に跳ね返らされているということをわれわれは知らされたのである。この事実は同時にわれわれの文明が利用してきた「人間/自然」の二元論的断絶の誤謬をも否定する。
この「過程(行為)と結果の分裂的状況」に「滑らかな連続性」を取り戻すことが「2005年日本国際博覧会」の目的である。われわれの行うすべての「行為」と「結果」は密接に関係し合っていることを示し、「われわれが行う行為」がそのまま「価値をもつ結果」となるようなライフスタイルを提示しようとする二段構えの狙いをもった博覧会なのである。
自然の生命の世界にはいかなる断絶も存在しない。この連続性の仕組みを、自ら自然の中に飛び込み、その内側から理解し価値を見い出そうと行為するとき、この抽象化の「行為」こそが「喜び=価値のある結果」であることを知る(この抽象化運動の喜びは外部からの観察では得ることはできないものである。)「2005年日本国際博覧会」が森に飛び込んだのもこのためであったのだ。キッズプレイキャンパスは関係者を含めて総参加者100名程度の小さなイベントであったが、瀬戸の森の中で共有されたその幸せさゆえに「2005年日本国際博覧会」の成功に向けての大きな一歩となったのである。


「新建築」1999年10月/新建築社 EXPO2005プレ・イベントを通して愛知万博についての考察