場所とモダン~その連続可能性について~


#AFTERWORD
修士論文の構想を始めてからもう二年になる。
そして今こうして、あとがきを書く段にまでやってきたわけだが、振り返ってみると、構想を練り始めた当時と現在とでは、建築を取り巻く状況が急速な変化を遂げたのだと、ことさら感じるのである。 徹夜で卒業製作の課題をこなしていたら突然、火と横倒しになった高速道路の映像。あの時から建築を動かしていたなにものかが変化したような気がするのだ。
私が学部で建築を学んできた四年間「建築は物質ではなかった」。実際建てられている建築も、「なにかを意味する」ものであって、その材料や設備などの物質性はかえりみられることのないものであった。さらには、積極的に無視しようとさえされていた。私は頭に来ていた。ひょっとしたら私を建築に向かわせていた動機も、多くはこの物質性無視への怒りであったのかも知れない。
「建築は物質に決まってる。」
この思いは、学部時代だけにとどまらず、私の修士論文の方向をさえ決定していた。言語化の困難な「物質性」をモダン後の言説の地平に価値づけようとする挑戦でもあった。この論文はそのようにしてスタートしたのである。
そして現在二年の歳月を経てこうして論文が完成したわけであるが、あの当時ほどこの「物質性を建築の世界で語る」ことに対しての抵抗がなくなっていることに気が付くのである。確かに建築は今「素材や構造」をテーマにしようとし始めている。この気付きは「あの磯崎新」の次の言葉によって裏付けられた。
「(阪神大震災後の瓦礫と化した街並みを見て)街は単純に木とコンクリートというモノでできている。理屈では分かっていても、(ポストモダニズムの時代は)この事実が見えていなかったし、むしろ隠そうとしていた。僕自身、ともすれば見過ごしがちなことだった。今表層的な記号性から、物質的な形式性に視点を移すべき時ではないだろうか。」
やはり、あの時からなにかが変わり始めていたのだ。この建築を物質としてみることは、震災というネガティブな要因からだけではなく、21世紀を目前に控えてのエコロジー問題への意識が、建築が、そして文明が物質の大地に着陸するようにと、誘導したのではないかとも感じる。
そして御都合主義的な建築家達は、この流れをトレースしていくのであろうが、これを単なるトレンドで終わらせずに、強い流れへと育てていくためには、このエコロジー思考が単なるバーバリズムへと還元されてしまうことを避けねばならないのである。バーバリズムから、また「透明な身体」への反動では余りに芸がないし、建築家の良識さえ疑われてしまうであろう。その時とるべき方法として、私がこの論の結論として提案したのが、手に入れた(入れるであろう)始源の大地から、元の記号世界へと戻るのではなく、そこに足をつけて、新しい、ノモスを建設し直すことである。その時、全力で活用される人間の論理能力=抽象化能力の全開感はバーバリズムへの還元を防ぐだけの魅力となり得ることはまちがいない。なぜなら、あの初期モダニズムがあれだけ盛り上がったのも、同じく、この人間の抽象化能力の発揮によって生じ始めるリアルな現象の魅力であったからである。
ただしモダンの非人間化という二の轍を踏まないために、ある用心が必要である。それは建築物を抽象化運動の際にでてしまった単なる廃棄物としてしまわないことである。それは建築という形をとっていながらも環境であり続けるようなモノでなければならないのである。
この様な修正モダニズムを、結局、私は結論として選択した。これは私という<場所=身体>的な人間が自分をモダニストと認識したということである。
このモダンと場所の連続は、即ち「モダンという言説の世界」で「場所=物質の世界」の価値付けが行われ得たことを示している。これによって、場所や身体を主題とした建築へと、現在のモダンに属する流れからスムースに移行するための道ができたのである。この論述によって開かれたその道を通って、場所=身体=物質とともに建築を行っていきたい。


1997年 原田真宏 芝浦工業大学大学院建設工学専攻 修士論文 創立者有本史郎記念賞(総代論文賞)
修士論文「場所とモダン~その連続可能性について~」あとがき部分より抜粋。本論はモダニズムという社会的現実と場所という現象する世界を同時に生きる我々のあり方についての考察であり、また私の建築に対するスタンスを宣言している。三井所清典氏、三宅理一氏、藤井博己氏の指導を受け、芝浦工業大学大学院総代論文となり「創立者有元史郎記念賞」を受賞した。