1/1



ディテールという言葉に、ある種の違和感を覚えることがある。
建築の世界では、1/10や1/5、或は1/1のスケールで表される図面を「ディテール図」と呼ぶのだけれど、おかしな話だと思っている。このうち最も大きな縮尺の1/1でさえ、それはリアルスケールというだけの事で、不過視の微細な世界を目に見えるように拡大している訳ではない(例えばCPUチップの内部構造を現すような拡大図は「詳細」と呼べるだろうが)。1/5や1/10などは、現実を更に縮小した抽象的な図面であって、到底、ディテールなどとは呼べないはずだ。
1/1(=リアルスケール)は、僕たちの世界そのままを扱う、標準的な縮尺である筈だけれど、建築で言う標準図は1/100〜1/200ぐらいの縮尺図面のことを指すという理解が一般的だろう。建築は、そもそも、その「標準」が、縮小側へと偏っているのである。
なぜ偏るのか。それは1/1のリアルスケールは情報量が大きすぎて、デザイン上、扱うことが困難だと考えられているからだろう。1/100や1/200に抽象化し、その情報量を下げることで、操作し易く現実をモディファイしているのである。もちろん、それ自体は情報操作の一つのテクニックなのだから、否定すべきことではない。ただ、その抽象化されたレベルを「標準」と設定し、本来デザインの対象であるべき「1/1」の世界を、あたかも建築の本質とは異なる階層の「ディテール」の地位へと落とし込むことには、どうなんだ?と思ってしまうのだ。1/100や1/200が建築の本質なんて、寂しすぎる。
僕たちは、建築の「標準」を「1/1」へと再設定しようと試みているのである。
これまでは余分な情報として、縮小による抽象化の過程で捨て去ってきた、例えば建築の物性や場所性といった豊穣な世界を、もう一度建築に取り戻したい。これらはデザイン操作を鈍らせる余計な情報というよりは、デザインをアクセレートする、よりポジティブな要素として僕たちは考えている。1/1で建築をそのまま捉えることは、当然、易しくはないけれど、不可能でもない。困難ではあってもそれに勝る収穫は大きいし、その力は求め続けていれば、いずれは確かに身に付くと、実感し始めてもいる。
・・・等々、さらに紙幅を費やしていても仕方がない(次のプロジェクトが待っているし)。

僕たちは、1/ 1の世界をデザインしているのである。



「KJ 建設ジャーナル」 2013年9月/株式会社KJ